三河廣瀨站

三河廣瀨站(日语:三河広瀬駅みかわひろせえき Mikawa-Hirose eki */?)是一座位於愛知縣豐田市東廣瀨町,名古屋鐵道(名鐵)三河線車站廢站)。

三河廣瀨站
廢站後的站舍(2009年8月)
廢站後的站舍(2009年8月)
日语名称
三河広瀬 – みかわひろせ – MIKAWA HIROSE
车站概览
位置 日本愛知縣豐田市東廣瀨町
地理坐标35°09′05″N 137°13′07″E / 35.151348°N 137.218578°E / 35.151348; 137.218578
车站构造
站体类型地面車站
站台1面1線
历史
启用日期1927年(昭和2年)9月17日
关闭日期2004年(平成16年)4月1日
上下車人次
統計年度
平均每日337人次
2003[1]
邻近车站
上一站 名古屋鐵道 下一站
西中金
2.8km
起訖站
三河線
已關閉
距離西中金 2.8km
距離知立 27.1km
枝下
1.3km
位置
地图

歷史

  • 1927年(昭和2年)9月17日:隨著枝下至三河廣瀨之間的鐵路線(當時為三河鐵道)開通,此站啟用[2]
  • 1928年(昭和3年)1月22日:隨著西中金至枝下之間的鐵路線開通,此站變為中途站。
  • 1941年(昭和16年)6月1日:三河鐵道合併至名古屋鐵道。成為名古屋鐵道三河線的車站。
  • 1984年(昭和59年)1月1日:廢除貨運業務[3]
  • 1984年(昭和59年)1月16日:成為無人車站[4]
  • 1985年(昭和60年)3月14日:引入LE-CarKiHa10形日语名鉄キハ10形気動車#キハ10形)行走三河線。此站再沒有電動列車行走。
  • 2004年(平成16年)4月1日:車站被廢除[2]
  • 2007年(平成19年)10月2日:站舍和月台被登錄為登錄有形文化財[5]
  • 2014年(平成26年)10月 - 愛知登文會日语愛知登文会首次舉辦登錄有形文化財之特別展覽,此站為公開的對象[6]

車站構造

此站是在廢除區間中,少數擁有站舍的車站。此站設有1面1線的單式月台。月台長度較長,這是由於此站曾經設有貨運起卸業務,以運送陶器等貨物(當時的月台配置是1面2線[7])。在2007年,此站與起點站西中金站的站舍和月台被登錄為國家登錄有形文化財(擁有者都是名鐵)。站舍內改裝為販賣五平餅和茶的商店,站外的空間會舉辦朝市等活動。站前設有站前設有豐田Oiden巴士日语とよたおいでんバス巴士總站,停靠的路線為三河線廢除替代巴士,包括猿投・足助線和旭·豐田線。2條路線可於此站轉乘。

配線圖

三河廣瀨站 站內配線略圖

西中金方向
 
猿投方向
图例
参考文献:[8]



使用狀況

客運

  • 在《名古屋鉄道百年史》中提及在1992年度,當時1日平均上下車人次為515人,為除岐阜市內線均一車費區間內各站(岐阜市內線、田神線、美濃町線徹明町站至琴塚站之間)外名鐵所有車站(342站)中排名第277,三河線(38站)排名第28[9]

根據《愛知縣統計書》、《愛知縣統計年鑑》和《豐田市統計書》各號,以下列出一日平均乘車人次和一日平均上下車人次變化:

一日平均乘車人次和一日平均上下車人次變化
乘車人次上下車人次備註
總數定期總數定期
1949(昭和24)年度*523*1024該期間為1949年5月 - 1950年4月尾[10]
1950(昭和25)年度*482*953該期間為1949年11月 - 1950年10月尾[11]
1951(昭和26)年度*612*1183[12]
1952(昭和27)年度6181200[13]
1953(昭和28)年度6101231[14]
1954(昭和29)年度6141228[15]
1955(昭和30)年度6141226[16]
1956(昭和31)年度6351270[17]
1957(昭和32)年度6351270[18]
1958(昭和33)年度
1959(昭和34)年度
1960(昭和35)年度
1961(昭和36)年度
1962(昭和37)年度
1963(昭和38)年度
1964(昭和39)年度
1965(昭和40)年度78964815831296[19]
1966(昭和41)年度76162215251244[20]
1967(昭和42)年度67955913611118[20]
1968(昭和43)年度5904731182946[20]
1969(昭和44)年度5274041056808[21]
1970(昭和45)年度495364986728[21]
1971(昭和46)年度481340954680[21]
1972(昭和47)年度425301841602[22]
1973(昭和48)年度412278814556[22]
1974(昭和49)年度364261720522[22]
1975(昭和50)年度345250681500[23]
1976(昭和51)年度356258710516[24]
1977(昭和52)年度700490[25]
1978(昭和53)年度344233684466[26][25]
1979(昭和54)年度367245729490[27][28]
1980(昭和55)年度349239698478[29][28]
1981(昭和56)年度329218655436[30][31]
1982(昭和57)年度310208647428[32][31]
1983(昭和58)年度287196574392[33][34]
1984(昭和59)年度260208521416[35][34]
1985(昭和60)年度275202586428[36][34]
1986(昭和61)年度275205573418[37][34]
1987(昭和62)年度274207582436[38][34]
1988(昭和63)年度281214565428[39][40]
1989(平成元)年度282214567428[41][40]
1990(平成02)年度292227587454[42][40]
1991(平成03)年度277210556420[43][40]
1992(平成04)年度257190515380[44][40]
1993(平成05)年度262200528400[45][46]
1994(平成06)年度254195511390[47][46]
1995(平成07)年度235184472368[48][46]
1996(平成08)年度222174445348[49][46]
1997(平成09)年度205161411322[50][46]
1998(平成10)年度176135384290[51][52]
1999(平成11)年度163126325252[53][52]
2000(平成12)年度155113323242[54][52]
2001(平成13)年度161122321244[55][52]
2002(平成14)年度161131321262[56][52]
2003(平成15)年度163117337234[57][1]

* 以千人為單位的近似值

貨運

貨運起卸量之變化(公噸)
發送到達備註
1960(昭和35)年度22970991[58]
1961(昭和36)年度201512557[58]
1962(昭和37)年度132281465[58]
1963(昭和38)年度211151104[58]
1964(昭和39)年度26016522[58]
1965(昭和40)年度25976538[59]
1966(昭和41)年度29994586[59]
1967(昭和42)年度34363234[59]
1968(昭和43)年度34429289[59]
1969(昭和44)年度36500300[59]
1970(昭和45)年度34885203[59]
1971(昭和46)年度27281116[59]
1972(昭和47)年度19318144[60]
1973(昭和48)年度17768164[60]
1974(昭和49)年度10561191[60]
1975(昭和50)年度8663165[60]
1976(昭和51)年度9166491[60]
1977(昭和52)年度6977896[61]
1978(昭和53)年度60261005[61]
1979(昭和54)年度6315617[61]
1980(昭和55)年度505775[61]
1981(昭和56)年度421056[61]
1982(昭和57)年度282215[61]
1983(昭和58)年度913[61]
時期發送到達參考資料
主要貨物主要目的地主要貨物主要發送地
1960年代後半二氧化矽、黏土關東地方礦石山陽、東北地方《豐田市之統計 昭和42年版》[58]
1970年代前半二氧化矽、黏土岡本站古川站小名木川站工業藥品鳴門站《豐田市統計書 昭和47年版》[59]
1970年代後半二氧化矽、黏土岡本駅、古川站、小名木川站工業藥品鳴門站《豐田市統計書 昭和52年版》[60]
1980年代沙、黏土九州、北海道地方、江津站、小名木川站工業藥品鳴門站《豐田市統計書 昭和60年版》[61]

車站周邊

相鄰車站

名古屋鐵道
三河線(廢除區間)
西中金三河廣瀨枝下

注腳

  1. ^ 1.0 1.1 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 平成18年版》、豐田市、2008年、292頁页面存档备份,存于互联网档案馆
  2. ^ 2.0 2.1 今尾恵介(監修). 日本鉄道旅行地図帳 7 東海. 新潮社. 2008: 45. ISBN 978-4107900258 (日语). 
  3. ^ 神谷力(編). 三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化. 郷土文化社. 2000: 236. ISBN 978-4876701292 (日语). 
  4. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編). 名古屋鉄道百年史. 名古屋鉄道. 1994: 871 (日语). 
  5. ^ 新實守. 写真で見る三河線誕生百年. 新實守. 2015: 129 (日语). 
  6. ^ 「国文化財建造物公開へ 名古屋、尾張、三河の37件」《中日新聞》2014年10月23日
  7. ^ 清水武、田中義人. 名古屋鉄道車両史 下巻. Alpha Beta Books. 2019-08: 184 (日语). 
  8. ^ 電氣車研究會日语電気車研究会,《鐵道畫刊日语鉄道ピクトリアル》通卷第473號 1986年12月 臨時增刊號 「特集 - 名古屋鐵道」,附圖「名古屋鐵道路線略圖」
  9. ^ 名古屋鐵道廣報宣傳部(編). 名古屋鉄道百年史. 名古屋鐵道. 1994: 651–653. 
  10. ^ 愛知縣統計書. 昭和24年》、(國立國會圖書館數碼化收藏)
  11. ^ 愛知縣(編)《愛知縣統計年鑑 昭和27年刊行》、愛知縣、1952年、331頁
  12. ^ 愛知縣(編)《愛知縣統計年鑑 昭和28年刊行》、愛知縣、1953年、315頁
  13. ^ 愛知縣(編)《愛知縣統計年鑑 昭和29年刊行》、愛知縣、1954年、334頁
  14. ^ 愛知縣(編)《愛知縣統計年鑑 昭和30年刊行》、愛知縣、1955年、309頁
  15. ^ 愛知縣(編)《愛知縣統計年鑑 昭和31年刊行》、愛知縣、1956年、307頁
  16. ^ 愛知縣(編)《愛知縣統計年鑑 昭和32年刊行》、愛知縣、1957年、323頁
  17. ^ 愛知縣(編)《愛知縣統計年鑑 昭和33年刊行》、愛知縣、1958年、339頁
  18. ^ 愛知縣(編)《愛知縣統計年鑑 昭和34年刊行》、愛知縣、1959年、382頁
  19. ^ 豐田市企画部企画課統計係(編)《豐田市の統計 昭和42年版》、豐田市、1968年、95頁
  20. ^ 20.0 20.1 20.2 豐田市總合企画部統計課(編)《豐田市統計書 昭和47年版》、豐田市、1973年、162-163頁
  21. ^ 21.0 21.1 21.2 豐田市總務部統計課(編)《豐田市統計書 昭和50年版》、豐田市、1976年、166-167頁
  22. ^ 22.0 22.1 22.2 豐田市總務部統計課(編)《豐田市統計書 昭和50年版》、豐田市、1976年、168-169頁
  23. ^ 豐田市總務部企画課(編)《豐田市統計書 昭和51年版》、豐田市、1977年、162-163頁
  24. ^ 豐田市總務部企画課(編)《豐田市統計書 昭和52年版》、豐田市、1978年、162-163頁
  25. ^ 25.0 25.1 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 昭和54年版》、豐田市、1980年、198-199頁
  26. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和55年刊》、愛知縣、1980年、222頁
  27. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和56年刊》、愛知縣、1981年、228頁
  28. ^ 28.0 28.1 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 昭和57年版》、豐田市、1983年、210-211頁
  29. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和57年刊》、愛知縣、1982年、240頁
  30. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和58年刊》、愛知縣、1983年、224頁
  31. ^ 31.0 31.1 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 昭和60年版》、豐田市、1986年、218-219頁
  32. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和59年刊》、愛知縣、1984年、224頁
  33. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和60年刊》、愛知縣、1985年、242頁
  34. ^ 34.0 34.1 34.2 34.3 34.4 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 昭和62年版》、豐田市、1988年、208-209頁
  35. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和61年刊》、愛知縣、1986年、236頁
  36. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和62年刊》、愛知縣、1987年、224頁
  37. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 昭和63年刊》、愛知縣、1988年、224頁
  38. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成元年刊》、愛知縣、1989年、226頁
  39. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成2年刊》、愛知縣、1990年、224頁
  40. ^ 40.0 40.1 40.2 40.3 40.4 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 平成4年版》、豐田市、1993年、208-209頁
  41. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成3年刊》、愛知縣、1991年、226頁
  42. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成4年刊》、愛知縣、1992年、230頁
  43. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成5年刊》、愛知縣、1993年、222頁
  44. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成6年度刊》、愛知縣、1995年、222頁
  45. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成7年度刊》、愛知縣、1996年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  46. ^ 46.0 46.1 46.2 46.3 46.4 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 平成9年版》、豐田市、1998年、203-204頁
  47. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成8年度刊》、愛知縣、1997年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  48. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成9年度刊》、愛知縣、1998年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  49. ^ 愛知縣企画部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成10年度刊》、愛知縣、1999年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  50. ^ 愛知縣企画振興部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成11年度刊》、愛知縣、2000年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  51. ^ 愛知縣企画振興部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成12年度刊》、愛知縣、2001年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  52. ^ 52.0 52.1 52.2 52.3 52.4 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 平成14年版》、豐田市、2003年、218-219頁
  53. ^ 愛知縣企画振興部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成13年度刊》、愛知縣、2002年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  54. ^ 愛知縣企画振興部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成14年度刊》、愛知縣、2003年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  55. ^ 愛知縣企画振興部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成15年度刊》、愛知縣、2004年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  56. ^ 愛知縣企画振興部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成16年度刊》、愛知縣、2005年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  57. ^ 愛知縣企画振興部統計課(編)《愛知縣統計年鑑 平成17年度刊》、愛知縣、2006年、第10章 運輸・通信页面存档备份,存于互联网档案馆
  58. ^ 58.0 58.1 58.2 58.3 58.4 58.5 豐田市企劃部企劃課統計係(編)《豐田市の統計 昭和42年版》、豐田市、1968年、98頁
  59. ^ 59.0 59.1 59.2 59.3 59.4 59.5 59.6 59.7 豐田市總合企劃部統計課(編)《豐田市統計書 昭和47年版》、豐田市、1973年、168-169頁
  60. ^ 60.0 60.1 60.2 60.3 60.4 60.5 豐田市總務部統計課(編)《豐田市統計書 昭和52年版》、豐田市、1978年、164-165頁
  61. ^ 61.0 61.1 61.2 61.3 61.4 61.5 61.6 61.7 豐田市總務部庶務課(編)《豐田市統計書 昭和60年版》、豐田市、1986年、220-221頁

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