五辻忠子
五辻忠子(いつつじ ちゅうし、藤原忠子,1268年—1319年12月27日),鎌倉時代女性貴族。後宇多天皇的後宮、女院。後醍醐天皇之母。参議五辻忠继之女,母亲是皇后宮亮平高輔之女。花山院師继的養女。院号談天門院。
生平
五辻忠继在生忠子的文永5年(1268年)出家。她作为内大臣花山院師继的養女入後宇多天皇後宮,弘安9年(1286年)生弉子內親王(達智門院),1288年生尊治親王(後醍醐天皇)、1292年生性圆法亲王、1294年生承觉法親王。永仁6年(1298年)7月21日,从三位。正安3年(1301年)7月20日,准三宮。嘉元3年(1305年)9月、龟山院崩御,五辻忠子出家,法名蓮花智。当時大觉寺统嫡系是西華門院所生後二条天皇的皇子邦良親王,延慶元年(1308年)後二条天皇崩御,忠子所生尊治親王取代邦良親王为皇太子。尊治親王在文保2年(1318年)即位为後醍醐天皇,忠子于同年四月十二日受院号宣下,号談天門院。元应元年十一月十五日(1319年12月27日),五辻忠子在五十二岁薨。
参考文献
- 橋本政宣 編《公家事典》吉川弘文館、2010年
- 森茂晓《後醍醐天皇》中央公論新社、2000年