大桥镇子
大桥镇子(日语:大橋 鎭子,1920年3月10日—2013年3月23日)是一位日本杂志编辑,散文家。家庭生活杂志《生活手帖》创始人。
大桥镇子 | |
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出生 | 1920年3月10日 |
逝世 | 2013年3月23日 日本东京都品川区 | (93歲)
生平
1920年出生于日本东京都千代田区麹町[1]。父亲大桥武雄是一位木材商,担任北海道一家木材工厂经理,1921年搬迁至北海道居住,后因患肺结核回到东京都,五年时间辗转伊东市、镰仓、大森寻找多家疗养院[2],后于1930年去世。[3]。毕业于东京都立三田高等学校,后入职日本興業銀行[4][5]。三年后离职进入日本女子大学,一年后因患肺结核退学。[6]。1946年3月与花森安治在东京都银座创建衣装研究所,后改名为生活手帖社。1978年花森安治去世后担任总编辑。2004年将总编辑职位交给横山泰子。[7]
著作
- すてきなあなたに 1 - 5(編著、1975年 - 2006年、暮しの手帖社)
- 「暮しの手帖」とわたし (2010年、暮しの手帖社)
参考来源
- ^ 大橋 2010,第34-37頁.
- ^ VITALITEインタビュー すてきな暮しをあなたに 暮しの手帖社社長大橋鎭子 (页面存档备份,存于互联网档案馆)、東機貿『VITALITE』Vol.13、SEPTEMBER 1994。
- ^ 大橋 2010,第47-49頁.
- ^ 石井好子エッセイ「パリの空の下オムレツのにおいは流れる」『一冊の本』(扇谷正造、PHP研究所, 1976)収録
- ^ 大橋 2010,第6-11頁石井好子による序文「先輩のこと」より。
- ^ 大橋 2010,第66-68頁.
- ^ 大橋 2010,第220-223頁横山泰子によるあとがき「今日も鎭子さんは出社です」より。
- ^ 大橋鎮子さんが死去 「暮しの手帖」社主 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 47news 2013年4月1日
- ^ 来春朝ドラは「暮しの手帖」創業者の軌跡モチーフ (页面存档备份,存于互联网档案馆)(2015年6月26日)、日刊スポーツ、2015年6月26日閲覧。
参考文献
- 大橋, 鎭子. 「暮しの手帖」とわたし. 暮しの手帖社. 2010. ISBN 978-4-7660-0165-5.