妙寿尼
妙壽尼(みょうじゅに,1545年3月27日—1613年12月30日), 战国时期至江户时代早期妇女。播磨國佐用郡 (今兵库 佐用郡佐用町) 上月城主上月景貞的妻子[1],平冈賴勝和黑田正好母亲。真名未詳。院号是遍照院(へんしょういん)。
妙寿尼 | |
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出生 | 1545年3月27日(天文14年2月5日) |
逝世 | 1613年12月30日(庆长18年11月19日) |
墓地 | 福岡県宮若市龍徳の光明寺 |
国籍 | 日本 |
生平
天文 14年(1545年)2月5日, 作為播磨國印南群志方城主櫛橋伊定的長女出生。兄長為櫛橋政伊,黑田孝高是其妹夫。
永祿3年(1560年),16岁時與播磨國守備職赤松氏家族的上月景貞结婚,二人子裔亦出生。天正 18年(1590年)3月份, 在豐前國下毛郡中津(大分县中津市)的中津城黑田孝高邀请下离开播磨國,往中津遷移。 文祿元年(1592年)文祿之役期間嫡子黑田正好參戰,隨軍登陸朝鮮,但於同年6月15日的大同江戰役,在平壤戰死,得年25岁。庆长18年(1613年)11月19日,於筑前国福冈去世,終年69歲。戒名遍照院殿量誉妙壽尼公大姉。
脚注
参考文献
- 川添昭二・福岡古文書を読む会校訂『新訂 黒田家譜』第一巻、文献出版、1983年
- 竹本春一『上月城史』上月町役場・佐用郡歴史研究会、1968年
- 上月町史編纂委員会編『上月町史』上月町、1988年
- 山下晃誉『上月合戦―織田と毛利の争奪戦』兵庫県上月町、2005年
- 宮田町誌編纂委員会編『宮田町誌』上巻、宮田町役場、1978年
- 原田泰『井上之房とその一族』西日本新聞社、2004年
- 鷺山智英「黒田如水・長政と寺院―真宗徳栄寺開基光心の由緒を中心に」『福岡地方史研究』第51号、2013年
- 本山一城『黒田軍団―如水・長政と二十四騎の牛角武者たち』宮帯出版社、2008年
- 本山一城『秀吉に天下を獲らせた男 黒田官兵衛』宮帯出版社、2014年
- 加来耕三『真説 黒田官兵衛』学陽書房、2013年
- 不破俊輔『黒田官兵衛 その生涯』明日香出版社、2013年
相关作品
外部链接
- 塔峰山妙寿院光明寺