素性
素性(日语:素性/そせい Sosei,生年不詳 - 延喜10年(910年)?)是日本平安時代前期至中期的歌人、僧侶。桓武天皇的曾孫,遍昭(良岑宗貞)之子。其俗家名字有多种说法,一说是良岑玄利(よしみねのはるとし)。三十六歌仙之一。
日語寫法 | |
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日語原文 | 素性 |
假名 | そせい |
平文式罗马字 | Sosei |
生平
素性是遍昭出家前所生,与兄长由性共同出家。他最初在宮廷出仕,清河天皇时担任左近将监,不久奉父命出家。仁明天皇皇子常康親王出家后居住在雲林院,遍昭、素性获得出入许可。常康親王去世后,遍昭担负管理雲林院的职责,遍昭死後,素性居住在雲林院,此地因举办和歌、漢詩会而闻名。之后,素性移居大和的良因院。他常常被邀请去参加宇多天皇举办的歌合。
勅撰和歌集收录其61首和歌,其中《古今和歌集》收录36首 [1]、藤原定家将他的和歌选入小倉百人一首。个人歌集为《素性集》(由他人编纂)。
和歌
- 收录于《百人一首》:
今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな
君言今宵来,深秋夜长晓月出,待君未见来
君言今宵来,深秋夜长晓月出,待君未见来
“
”
- 其他作品:
みわたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
放眼樱与柳,互植红绿相辉映,都中锦绣春
放眼樱与柳,互植红绿相辉映,都中锦绣春
“
”
我のみやあはれとおもはむきりぎりすなく夕かげのやまとなでしこ
唯吾似觉哀,秋夕蟋蟀鳴悲聲,有大和撫子
唯吾似觉哀,秋夕蟋蟀鳴悲聲,有大和撫子
“
”
もみぢ葉は 袖にこき入れて もていでなむ 秋はかぎりと 見む人のため
袖中藏紅葉,里人疑為秋既終,出山夸众人
袖中藏紅葉,里人疑為秋既終,出山夸众人
“
”
たむけにはつづりの袖もきるべきにもみぢにあける神やかへさむ
供献吾綴袖,明神已飽美楓紅,豈受吾賤禮
供献吾綴袖,明神已飽美楓紅,豈受吾賤禮
“
”
系圖
(50)桓武天皇 | (51)平城天皇 | 高岳親王 | (在原)行平 | ||||||||||||||||||||||||||||
伊予親王 | 阿保親王 | (在原)業平 | |||||||||||||||||||||||||||||
万多親王 | (54)仁明天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||
(52)嵯峨天皇 | 有智子内親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
(源)信 〔嵯峨源氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||
(源)融 〔嵯峨源氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||
(源)潔姫 (藤原良房妻) | |||||||||||||||||||||||||||||||
(53)淳和天皇 | 恒貞親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
葛原親王 | (平)高棟 | 惟範 | |||||||||||||||||||||||||||||
高見王 | (平)高望〔桓武平氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||
(良岑)安世 | 遍昭 | 素性 | |||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ 『勅撰作者部類』