阪神間現代主義
阪神间现代主义(阪神間モダニズム/はんしんかんモダニズム hanshinkan modanizumu),指1900年代到1930年代期间(主要是从大正到昭和初期[1][2])在日本所谓“阪神间”(泛指“大阪市与神户市之间”)[1]这一地域发展孕育的近代艺术、文化、生活样式等。“阪神间”这一地域概念并无明确的定义,对其范围有众多观点[1]。
1990年代以来,阪急沿线都市研究会主编的《生活样式与都市文化 阪神间现代主义的光与影》(1994年)、《“阪神间现代主义”展》[3]等成为研究这一概念的契机,构成了日本地方乡土史和地域文化史的一个重要概念。
这一概念主要包括从日本明治维新后经过大正、昭和初期直到日本战败为止的77年时间里,关西地区近代化过程中的黎明期的文化现象。这与日本的“战后复兴期”及高度经济成长期、泡沫经济时期等战后时代虽有明显的区分,但对战后直至现代的日本国民生活都带来了深远的影响。
这一历史概念也对促进关西大型私营铁道公司及不动产开发企业的旅游促进及打造地域品牌起到了一定作用。自2017年2月起,阪神电气铁道公司与沿线的神户市、芦屋市、西宮市共同策划推出了“阪神K・A・N现代主义”观光营销活动(三个字母正好是三个城市的罗马字首字母)[2][4][5][6]。
发展经过
19世纪末的大阪在日本是超越东京的全国第一大商业都市(即大大阪时代)[7]。当时的神户也已发展成为东亚地区最大的港口城市。
当时的近畿地区也模仿美国,纷纷建设城际铁路。以阪神电气铁道本线(1905年开业)为起源,先后有箕面有马电气轨道(之后的阪急宝塚本线、1910年开业)、阪神急行电铁神户本线(1920年开业)等电车线路陆续开通,从而极大地推动了神户和北摄近郊的农村地带的城市化进程。得益于发达的交通,风景秀丽的六甲山南麓的铁路沿线的阪神间就成为了优质宜居的郊外住宅用地。因此这一地区的城市化及文化发展,也可以归功于关西私铁投入的巨额资本。
首先,明治时期阪神一带的富商都选在原住吉村[注釈 1] 一带建造宅邸,因此这一带成为全日本富豪人数最多的地区[8][9]。
此后进入大正年间,新兴的实业家与当时新生的大学毕业的知识分子精英阶层也都选择这一带为居住地,因此带动了当地的文化经济发展和环境改善,从而更加吸引艺术文化界名人的入住。与此同时,从19世纪末开始,在六甲山上以及周边环境优美的山麓开发建设了一大批面向布尔乔亚富裕阶层的文化、教育、社交场所,包括别墅、酒店、娱乐设施等,更促使这一带成为西洋式的休闲度假胜地。
在这样的环境和时代背景下,当地培养出了深受西洋文化影响的近现代生活模式。值得一提的是,直至今日,这一带仍然是日本国内首屈一指的高级住宅区。
在日本首都圈,也有如田園都市公司(东急的前身)开发的田园调布等东京近郊的高级住宅区,那里也可以看到阪神间现代主义的影响。
当时建造的主要设施、宅邸
-
旧小寺家厩舎(相乐园内,国家重要文化财)
- 松山大学温山纪念会馆(旧新田利国邸)
- 旧芝川邸(芝川又右卫门宅邸,从西宮市上甲东园2丁目迁建至明治村)
- 一乐庄(田村驹太郎及田村驹治郎宅邸、西宮市甲子园)
- 旧松下邸(松下幸之助宅邸、光云庄は枚方市パナソニック研修施設に移築、名次庵)
- 高碕纪念馆(旧諏訪塋一宅邸、William Merrell Vories设计)
- 芦屋市谷崎润一郎纪念馆(富田砕花及谷崎润一郎宅邸)
- 旧安部邸(现为サンアール不動産芦屋寮)
- 滴翠美术馆(山口财阀当主、山口吉郎兵卫宅邸)
- 旧维克多・赫尔曼邸
- 六甲山庄(旧小寺家山庄・小寺敬一山庄、William Merrell Vories设计)
- 旧ハンター住宅
- 白鶴美术馆(白鶴酒造、嘉纳财阀、嘉纳治兵卫宅邸)
- 香雪美术馆(朝日新聞社创始人、村山龍平宅邸)
- 甲南漬資料馆(旧高屿平介宅邸)
- 太田酒造贵宾馆(旧小寺源吾宅邸、William Merrell Vories设计))
- 倚松庵(谷崎润一郎旧居)
- 旧平生邸(川崎造船所社长、国务大臣平生釟三郎宅邸、现为甲南大学)
- 二乐庄(西本愿寺・净土真宗本愿寺派二十二世门主、大谷光瑞伯爵宅邸)
- 旧久原邸(久原财阀当主・久原房之助宅邸、JR神户线付近~山手幹线の住吉川东岸)
- 旧广海邸(广海二三郎宅邸、住吉村川向)
- 罗伊・史密斯馆(旧大谷茂邸)
- 旧辰马喜十郎邸
- 旧乾邸(四代目乾新兵卫宅邸)
- 旧田辺邸(住友银行初代支配人田辺定吉宅邸→住友家住吉本邸の洋馆)
- 旧住友家住吉本邸(住友财阀当主第15代吉左卫门・住友友纯男爵宅邸)
- 旧岩井邸(岩井财阀当主岩井勝次郎宅邸)
- 旧野村家住吉本邸(野村财阀当主野村徳七宅邸)
- 旧住友分家邸(住友义輝宅邸、现为住吉中学校)
- 旧野村分家邸(野村元五郎宅邸、住吉村观音林)
- 旧伊藤邸(伊藤忠财阀当主二代伊藤忠兵卫宅邸)
- 旧辰马邸(辰马财阀当主辰马吉左卫门宅邸)
- 旧八马邸(八马财阀当主八马兼介宅邸)
- 旧和田邸(和田久左卫门宅邸、住吉村小坂山)
- 旧阿部邸(阿部房次郎宅邸)
- 旧铃木邸(铃木马左也宅邸)
- 旧兼松邸(兼松房治郎宅邸)
- 旧田代邸(田代重右卫门宅邸)
- 旧勝田邸(勝田銀次郎宅邸、现为天理教兵庫教務支庁)
- 武田药品工业武田资料馆(銜艸居・武田长兵卫宅邸)
- 旧小寺敬一邸 (小寺敬一宅邸、William Merrell Vories设计、现为神户市住吉山手4丁目9)
- 旧小寺敬三邸 (小寺敬三宅邸、William Merrell Vories设计、神户市住吉山手4丁目9)
- 苏州园(弘世助三郎宅邸)
- 旧大林邸(大林组社长大林义雄宅邸。现为大林组迎宾馆)
- 旧池永邸(红尘庄、南蛮美术収集家・池长孟宅邸、春日野会病院旧北馆)
- 旧赤尾邸(花莚貿易商・赤尾善治郎宅邸、神户市滩区原田通3丁目3 私邸非公開)
- 旧山下邸(熊内御殿)(山下龟三郎宅邸,后为神户观光饭店、现为神户市中央区熊内町8丁目)
- 旧川崎邸・川崎美术馆(神户川崎财阀・男爵川崎正蔵宅邸・日本最早的私立美术馆)
- 旧松方邸(松方幸次郎宅邸、现为神户市中央区山本通4丁目19-8~15)
- 旧湯浅邸(湯浅竹之助宅邸、现为神户市中央区山本通5丁目3)
- 神户市风见鸡馆(旧托马斯邸)
- 北野物語馆(旧M.J.Jay邸)
- 旧夏普住宅(小林家住宅、美国总领事Hunter Sharp→神户电铁社长小林秀雄宅邸、萌黄馆)
- 美国楼(旧哈姆威邸)
- 旧哈撒姆住宅(J.K.哈撒姆宅邸)
- 港口异人馆(Baker宅邸)
- 旧大谷光瑞・西本愿寺月見山別邸(现须磨离宮公园)
- 旧冈崎邸(冈崎财阀当主冈崎忠雄宅邸,现为须磨离宮公园植物园)
- 旧川崎家別邸(川崎正蔵别邸,现为须磨区奥山畑町2)
- 旧铃木邸(铃木商店经营者宅邸,现为须磨区若木町2丁目)
- 西尾家住宅(西尾類蔵宅邸,现为神户迎宾馆)
- 旧室谷家住宅(室谷藤七宅邸,William Merrell Vories设计,现为离宮前町2丁目9)
- 旧内田邸(内田信也→小曾根财阀当主 小曾根喜一郎宅邸、洋馆及须磨御殿。现为须磨区樱木町3丁目2)
- 旧村野邸(村野山人宅邸)
- 旧住友家须磨別邸(住友财阀当主第15代吉左卫门男爵住友友纯[春翠]別邸,后捐赠给市政府,现为须磨海浜公园部分)
- 旧九鬼邸(第13代三田藩主长子子爵九鬼隆辉宅邸,现为マリスト国際学校)
- 旧藤田邸(藤田财阀当主藤田传三郎男爵宅邸,后为藤田花园,现为须磨区潮见台町2丁目)[10]
- 贺阳宮须磨別邸
- 旧山本邸(现为财团法人山本清纪念财团所在地)
- 旧後藤邸(武田常次郎,后为日野自动车创始人後藤末二宅邸)
- 旧牛场邸(牛场卓蔵宅邸,现为三菱电机产业)
- 旧四本邸(四本萬二宅邸→三菱電機神户製作所病棟→垂水警察署、お菓子の里丹波に移築、现为垂水区宮本町)
- 岸本家別邸(泉吉株式会社所有)
- 旧牛尾邸(牛尾健治宅邸、现为苔谷公园付近)
- 旧武藤家別邸洋馆(武藤山治宅邸→旧鐘紡舞子俱乐部)
- 孙文纪念馆(吴锦堂的松海別庄、移情阁,俗称六角堂)
- 武库之庄站(尼崎市)
- 西宮七园
- 六麓庄(芦屋市六麓庄町)
- 松风山庄(芦屋市山手町、东芦屋町)
- 芦屋文化村
- 三宜壮
- 深江文化村
- 观音林俱乐部
- 旧甲南病院本馆
- 御影公会堂
- 大阪市中央公会堂
- 神户市文书馆(池长孟设立的池永美术馆→市立南蛮美术馆)
- 神户市水科学博物馆(奥平野净水场・旧急速过滤场上屋)
- 旧居留地下水渠
- 布引五本松堰堤
- 布引水路桥(砂子桥)
- 乌原立ケ畑堰堤
- 淡河疏水
- 山田池堰堤
- 新川运河
- 武库川净水场
- ニテコ池蓄水池 中池取水塔
- 旧居留地十五番馆(旧美国领事馆)
- 兵库县公馆(旧兵库县庁舎)
- 神户大学(本馆・礼堂・兼松纪念馆・人文社会系图书馆・武道场,旧制神户商业大学)
- 关西学院上原校区(William Merrell Vories负责整体设计)
- 神户文学馆(旧关西学院)
- 圣和大学(William Merrell Vories负责整体设计)
- 小林圣心女子学院中学校・高等学校校舍本馆
- 今津六角堂(西宮市立今津小学校旧校舍)
- 旧制甲南中学校(现为甲南大学冈本校区)
- 旧制滩中学校(现为滩中学校・高等学校)
- 旧制甲阳中学校(现为甲阳学院中学校・高等学校)
- 旧制六甲中学校(现为六甲学院中学校・高等学校)
- 旧制三田中学校(现为三田学园中学校・高等学校)本馆・纪念图书馆
- 神户女学院冈田山校区(William Merrell Vories整体设计)
- 神户中华同文学校(初代校舍)
- 兵库县立神户高等学校校舍(旧制兵库县立第一神户中学校校舍)
- 兵库县立长田高等学校神抚会馆(旧兵库县立第三神户中学校图书馆)
-
神户市水科学博物馆
-
神户女学院大学理学馆
-
新川运河
-
神户大学六甲台本馆(国登録有形文化財)
-
兵库县立神户高等学校
-
兵库县立长田高等学校神抚会馆
- 基督教夙川教堂
- 旧神户联合教堂(William Merrell Vories设计)
- 关西犹太教堂
- 神户清真寺
- 日本基督教団神户教会
- 慈眼山长乐寺(关帝庙)
- 尼崎紡績会社本社事務所(现为ユニチカ纪念馆)
- 尼崎信用组合本店事務所(现为尼崎信用金库纪念馆)
- 阪神电铁发电厂(现为阪神电铁西仓库)
- 旧居留地38番馆
-
神户清真寺
-
日本基督教团神户教堂
-
旧宝塚歌剧纪念馆
-
旧神户联合教堂
-
宝塚大剧场(第一代)
-
神户旧居留地38番馆
- 旧内田汽船本社大楼
- 旧八马汽船大楼
- 多闻大楼
- 武库大桥
- 旧通信省芦屋別馆
- 新港贸易会馆
- 辰马本家酒造白鹿馆
- 辰马酒造本社大楼
- 阪急百货店
- 元町百货店→三越神户店
- 大丸神户店
- 宝塚大剧场(初代)
- 宝塚音乐学校旧校舍(旧・宝塚公会堂)
- 旧宝塚文艺图书馆
- 阪神甲子园球场
- 须磨寺游乐园
- 詹姆斯山
-
神户住友大楼
-
大阪商船神户支店
-
神户郵船大楼
-
神户税关
-
海岸通り
- 芦屋国际网球俱乐部
- 神户网球俱乐部
- 鳴尾高尔夫俱乐部
- 神户高尔夫俱乐部
- 广野高尔夫俱乐部
- 宝塚高尔夫俱乐部
- 宝塚饭店
- 甲子园会馆(甲子园饭店、莱特爱徒远藤新设计)
- 六甲山饭店
- 六甲东方饭店
- 饭店六甲House
- 六甲登山架空索道(索道)
- 六甲摩耶鉄道六甲索道线(六甲索道)
- 神户すまいまちづくり公社摩耶索道线(摩耶索道)
- 阪急西宮球场
- 甲子园阪神公园
- 阪神水族馆
- 关西赛马俱乐部赛马场(旧・阪神競马俱乐部)
- 武库川净水场
- 甲子园海水浴场
- 打出海水浴场
- 芦屋国际饭店
- 帝国电影蘆屋撮影所
- 东亚饭店(现为神户外国俱乐部)
- 神户塔(1924年竣工)
- 神户东方饭店
- 旧神户港信号所
- 和田岬灯塔
- 舞子饭店(旧・日下部久太郎別邸)
- 舞子ビラ(旧・有栖川宮熾仁親王別邸)
- パインクレストアパートメント饭店
- 有马饭店
- 有马鉄道(后为铁道省有马线)有马站
- 神户愛隣馆
- 聚乐馆
- 西宮回生病院
- 旧西宮市立図書馆
- 旧芦屋市立图书馆分馆
- 神户万国病院(现为神户海星医院)
- クリスト・ロア病院(现为上原医院)
- 播州葡萄园
- 神户阿利襪园
-
旧甲子园饭店
-
宝塚饭店
-
大丸神户店本馆、东側コリドール
-
孫文纪念馆(旧・松海別庄)
-
六甲山饭店
-
舞子饭店
-
旧オリエンタル饭店
-
旧トア饭店
曾居住在阪神间的知名人物
阪神间的居民中除了当地的富裕阶层外,还有很多知名的艺术家和实业家。尤其在1923年关东大地震后,东京一带迁居至此的艺术家更增添了这一带的人气。
艺术家
- 贵志康一(作曲家、小提琴演奏家)
- 辻久子(小提琴演奏家)
- 片冈仁左卫门 (12代目)(歌舞伎演员)
- 设乐贞雄(建筑师)
- 宗兵蔵(建筑师)
- 野口孙市(建筑师)
- 古塚正治(建筑师)
- 安井武雄(建筑师)
- 渡边节(建筑师)
- 谷崎润一郎(作家)
- 朝比奈隆(指挥)
- 薄田泣菫(诗人)
- 富田碎花(诗人)
- 竹中郁 (诗人)
- 中山岩太(摄影家)
- 小磯良平(油画家)
- 小出楢重(油画家)
- 津高和一(油画家)
- 吉原治良(油画家)
- 桥本关雪(日本画家)
- 村上华岳(日本画家)
- 花柳芳次郎(舞蹈家)
- 阿波野青畝(俳人)
- 山口誓子(俳人)
- 长谷川一夫(演员)
- 阪东妻三郎(演员)
- 野泽吉兵卫(文乐三味线)
实业家
- 安宅弥吉(安宅产业创始人)
- 阿部元太郎(日本住宅社长)
- 阿部藤造(东洋纺关联会社社长)
- 阿部房次郎(东洋纺织社长)
- 井植歳男(三洋电机创始人)
- 岩本荣之助(大阪市中央公会堂捐赠者)
- 铸谷正辅(川崎造船所社长)
- 伊藤忠兵卫(伊藤忠财阀总帅、第二代社长)
- 泉仙介(泉酒造社长)
- 乾新兵卫(乾新治)(日本鉄线・乾倉庫社长)
- 乾豊彦(乾汽船社长)
- 岩井勝次郎(岩井商店店主)
- 内田信也(内田汽船创始人)
- 上野理一(朝日新闻创始人之一)
- 牛尾健治(姫路银行行长・中国合同电气社长・牛尾财阀)
- 榎並充造(阪东調帯護謨(现坂东化学)创始人・神户商工会议所主席)
- 冈崎藤吉(冈崎财阀创始人)
- 冈崎忠雄(神户冈崎银行行长)
- 冈崎真一(同和火灾海上保险社长)
- 冈崎忠(神户银行行长)
- 大谷哲平(満州大谷重工业社长)
- 大原孙三郎(仓敷纺织社长・大原财阀)
- 大原总一郎(大原财阀负责人)
- 大林义雄(大林组第二代社长)
- 小仓捨次郎(小仓商事社长・川铁商事)
- 小曾根喜一郎(小曾根财阀创始人)
- 小曾根貞松(小曾根财阀第二代当主)
- 勝田銀次郎(勝田汽船创始人)
- 金子直吉(铃木商店専務)
- 兼松房治郎(兼松房治郎商店创始人・现兼松)
- 嘉纳治兵卫(白嘉纳家・白鹤社长・嘉纳财阀)
- 嘉纳治郎右卫门(本嘉纳家・菊正宗酒造社长・嘉纳财阀)
- 神社柳吉(倉敷纺织社长)
- 川崎正蔵(神户川崎财阀创始人・男爵)
- 川崎芳太郎(神户川崎财阀第二代当主)
- 川田順(住友本社理事)
- 川西清兵卫(川西航空机・日本毛织・兵库电气轨道社长)
- 岸本丰太郎(岸本银行行长・神户商业会议所主席)
- 北風正造(七十三银行行长)
- 北川与平(北川商店创始人・现兼松)
- 木水栄太郎(十合百貨店社长)
- 日下部久太郎(日下部合資会社创始人・十六银行行长)
- 久原房之助(久原财阀创始人)
- 神田兵右卫门(神田银行行长・初代神户市会议长・首届神户商业会议所主席)
- 小泉新助(小泉制麻创始人)
- 小泉良介(小泉制麻社长)
- 小寺源吾(大日本纺织社长)
- 小寺谦吉(三田学园创立者・众议院议员・神户市长)
- 小寺壮吉(小寺洋行社长)
- 后藤胜造(后藤回漕店社长)
- 小林秀雄(神户电铁社长)
- 才贺藤吉(才賀电机商会社长)
- 笹冈茂七(又新纺织代表)
- 佐藤国一(佐藤国汽船创始人)
- 芝川又右卫门(実业家、大地主)
- 柴田音吉(柴田音吉洋服店创始人)
- 白井松次郎(松竹创始人)
- 白洲退蔵(三田县大参事、横浜正金银行行长)
- 白洲文平(白洲商店创始人)
- 白洲次郎(实业家)
- 杉道助(八木商店社长・原大阪商工会议所主席)
- 铃木马左也(住友本社第三代総理事)
- 铃木岩治郎(铃木财阀当主)
- 住友友純(住友财阀第15代当主・男爵)
- 高屿平介(高屿平介商店・第二代)
- 泷川辨三(东洋燐寸社长・神户商业会议所主席)
- 泷川儀作(帝国燐寸社长・神户商业会议所主席)
- 武田长兵卫(武田药品工业第六代社长)
- 武田二郎(武田药品工业副社长)
- 竹田义蔵(武田药品工业副社长、吉富製药社长)
- 辰马喜十郎(南辰马家初代当主)
- 辰马吉左卫门(辰马商会・辰马财阀当主)
- 田中三郎(电影旬报创始人)
- 田中正之輔(大同海運创始人)
- 田边贞吉(住友银行首任负责人)
- 寺田甚吉(南海鉄道・岸和田紡社长・寺田财阀)
- 田路舜哉(住友商事创始人)
- 丰田善右卫门(丰田产业社长・众议院议员)
- 中村準策(太平洋海上火灾保险会社社长)
- 中山悦治(中山制钢所创始人)
- 中山半(中山钢业社长)
- 永田良介(永田良介商店创始人)
- 野村元五郎(野村银行社长)
- 野村徳七(野村财阀当主)
- 长谷川佳平(日華製紙社长)
- 八马兼介(八马财阀当主)
- 肥田昌三(虎屋・三和信託代表)
- 平生釟三郎(川崎造船所社长、国務大臣)
- 弘世助三郎(日本生命创始人之一)
- 弘世助太郎(日本生命社长)
- 广海二三郎(广海商店主)
- 广冈恵三(加島屋・広冈财阀、神户市东滩区, 现 甲南女子大学)
- 藤泽友吉(藤澤友吉商店社长・藤泽药品工业)
- 前田又吉(料亭常盘花坛、常盘饭店(现为京都饭店)创始人)
- 松方幸次郎(川崎造船所社长・神户川崎财阀総帥)
- 松下幸之助(松下公司创始人)
- 三木瀧蔵(三共生興创始人)
- 宮地民之助(宮地汽船社长)
- 武藤山治
- 村野山人(参与关西的铁道经营,众议院议员)
- 村山龙平(朝日新聞社创始人)
- 室谷藤七(室谷商店社长)
- 山口吉郎兵卫(山口财阀当主)
- 山下亀三郎(山下汽船创始人・山下财阀)
- 山本唯三郎(松昌洋行社长)
- 山邑太左卫门(山邑酒造)
- 汤浅竹之助(汤浅商店创始人)
- Karl Juchheim(烘焙品牌Juchheim创始人)
- クリフォード・ウヰルキンソン(クリフォード・ウヰルキンソン・タンサン鉱泉创始人)
其他
参考文献
- (日語)阪急沿线都市研究会編『ライフスタイルと都市文化 阪神间现代主义の光と影』东方出版、1994年。ISBN 4-88591410-8
- (日語)阪神间现代主义実行委員会編『阪神间现代主义 六甲山麓に花開いた文化、明治末期‐昭和15年の軌跡』淡交社、1997年。4-47301575-0
- (日語) 竹村民郎・铃木貞美編『关西モダニズム再考』思文閣出版、2008年。ISBN 4-78421379-1
- (日語)『竹村民郎著作集 III 阪神间现代主义再考』三元社、2012年。ISBN 978-4-883033164
- (日語)藤村郁雄著・松尾稔写真『阪神间现代主义 近代建築さんぽ』神户新聞総合出版センター、2011年。ISBN 978-4-343006233
- (日語)户田清子. 「阪神间现代主义の形成と地域文化の創造」 (PDF). 奈良県立大学. [2015年5月19日]. (原始内容 (PDF)存档于2014年1月4日).[失效連結]
脚注
注释
出典
- ^ 1.0 1.1 1.2 阪神间现代主义 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 公益财团法人西宮市大谷纪念美术馆
- ^ 2.0 2.1 「阪神K・A・Nモダニズム」~インスタグラム投稿キャンペーンを開催~[失效連結] 神户市、2018年11月9日、2021年2月14日閲覧。
- ^ 1997年、兵库县立近代美术馆・西宮市大谷纪念美术馆・芦屋市立美术博物馆・芦屋市谷崎润一郎纪念馆合办。
- ^ 阪神K・A・Nモダニズム 知る・見る・巡る 阪神KANお散歩マップ (页面存档备份,存于互联网档案馆) 阪神電気鉄道、2021年2月14日閲覧。
- ^ 阪神K・A・Nモダニズム (页面存档备份,存于互联网档案馆) 芦屋市、2021年2月14日閲覧。
- ^ 阪神K・A・Nモダニズム 神户、芦屋、西宮と阪神電鉄が地域の魅力を共同発信 20日からスイーツスタンプラリー/兵庫 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 毎日新聞阪神版、2018年2月11日、2021年2月14日閲覧。
- ^ [1] (页面存档备份,存于互联网档案馆) 大阪市経済局
- ^ 山本ゆかり・萬谷治子・加藤拓郎. 住宅総合研究财团研究論文集 No.31、2004年版『旧住吉村の住宅地開発とその特徴 - 日本の近代萌芽期における郊外住宅地 -』 (PDF). 住宅総合研究财团. [2019-04-16]. (原始内容 (PDF)存档于2021-11-15).
- ^ 日本一の富豪村. [2022-03-25]. (原始内容存档于2021-04-28).
- ^ 长沢伸一. 幻の社交场、藤田ガーデン 神户・须磨にあったその面影探る. 神户新聞NEXT. 神户新聞. 2019-06-25 [2021-11-15]. (原始内容存档于2021-05-09).
关联条目
外部链接
- (日語) 阪神间现代主义 (页面存档备份,存于互联网档案馆) - 公益财团法人 西宮市大谷纪念美术馆
- (日語) 「阪神间现代主义紹介動画」の配信開始について (页面存档备份,存于互联网档案馆) - 兵库县
- (日語) 阪神K・A・Nモダニズム 知る・見る・巡る 阪神KANお散歩マップ (页面存档备份,存于互联网档案馆) - 阪神电气铁道
- (日語) 阪神K・A・Nモダニズム (页面存档备份,存于互联网档案馆) - 芦屋市
- (日語) 阪神間モダニズム/大阪、神戸、ヴォーリズの近代建築 (页面存档备份,存于互联网档案馆)