鶴林寺 (加古川市)

鶴林寺(日語:かくりんじ)是位於日本兵庫縣加古川市佛教寺院山號是刀田山(日語:とたさん),宗派是天台宗,祭祀本尊為藥師佛

鶴林寺
本堂(國寶)
基本信息
位置兵庫縣加古川市加古川町北在家424
坐标34°45′8.2″N 134°49′57.3″E / 34.752278°N 134.832583°E / 34.752278; 134.832583
宗教日本佛教
宗派天台宗
本尊藥師佛(重要文化財)
山号山號:刀田山(とたさん)
札所等新西國三十三箇所日语新西国三十三箇所27番
西國藥師四十九靈場日语西国薬師四十九霊場22番
聖德太子靈跡日语聖徳太子霊跡27番
播州藥師靈場日语播州薬師霊場9番
關西花之寺二十五靈場日语関西花の寺二十五霊場9番
文化遗产本堂、太子堂(國寶)
常行堂、絹本著色聖德太子像、銅造聖觀音立像他(重要文化財)等
開基傳・聖德太子
开山时间傳・崇峻天皇2年(589年
地圖
地图

概要

位置在加古川的市街地外側(位於市役所和明姫幹線間)。

是屬於近畿地方眾多由聖德太子開基傳承的寺院之一,也是由太子建立的七大寺之一,但關於創建的詳細事情則不明確。以屬於平安時代建築的太子堂(國寶)為主,擁有多數的文化資產,有「西邊的法隆寺」之稱[1],為 播磨地方屈指可數的古寺。

在境内和塔頭周圍三方,被整理成鶴林寺公園,展示著日本C11型蒸汽機關車日语国鉄C11形蒸気機関車等等,在假日是親子一同攜家大小前往的遊樂場。

歷史

其傳承據稱是在崇峻天皇2年(589年)創建,聖德太子為了當時在播磨一帶的高麗僧侶・惠便(日語:えべん)所建立[2]。養老2年(718年)身人部春則(日語:むとべのはるのり/みとべのはるのり)的人一直維持著七堂伽藍,但未離開原先傳承的區域[3]

但是,在推古天皇14年(606年),聖德太子講說法華經[3],因其功德,播磨國得到天皇賞賜水田百町的這個史實,顯示聖德太子似乎和播磨有某種關聯。創建時的寺號是四天王寺聖靈院,在天永3年(1112年)作為鳥羽天皇的勅願所而改稱為「鶴林寺」[4]

鶴林寺擁有飛鳥時代後期(白鳳期)的銅造聖觀音[5];本堂的本尊--藥師三尊像,則是可以追溯到平安時代前期・10世紀的古像[6]

戰國時代鄰近的書寫山捲入戰火,當時的播磨姫路領主黑田職隆,因兒子黒田孝高的勸說加入信長派,而未捲入戰火之中,因此仍有不少當時的建築物留存下來。黑田家後來得到福岡藩的大封,在鶴林寺進行大規模的法會,並捐贈了許多金銀供養。寺院殘留不少職隆、孝高往來的信件[7]

現在也是光主要堂塔就有16棟的大伽藍,鎌倉室町時期曾達到寺坊30以上的規模。

文化資產

 
本堂細部 窗扉是棧唐戶。斗拱則是栱往前方、上跳兩段的「二出跳」,斗拱間的中備(日語:なかぞなえ,兩斗拱間的構造物)則是蟇股和雙斗的組合。
 
太子堂

國寶

  • 本堂(附:宮殿棟札2枚)
室町時代。歇山頂、本瓦葺。桁行(正面)7間、梁間(側面)6間(「間」並非長度單位,而是表示柱間數量)。從堂内宮殿(廚子)的棟札銘可知是應永4年(1397年)的建築,是和樣和帶有點禪宗樣折衷樣建築之代表作,大量使用棧唐戶(由縱橫棧木組成的門扉)為其特色。内部宮殿則安置有秘佛藥師佛三尊像和二天像(各為重要文化財)[8]
  • 太子堂
平安時代。建於本堂右前方,堂内的壁畫是聖德太子像,所以被稱為太子堂,但原本稱為「法華堂」,與本堂左前方的常行堂相對(「法華堂」、「常行堂」同類型的堂並建,是天台宗特有的伽藍配置,如延曆寺、日光的輪王寺等等)。屋頂是攢尖頂、檜皮葺。桁行(正面)、梁間(側面)都是3間,主屋前面則附加有梁間1間的孫庇(禮拜空間),從側面看的話側面,主屋和孫庇交界的屋簷曲線彎曲形成「縋破風」。從屋頂木板有鎌倉時代的墨跡得知是天永3年(1112年)的建築。堂内安置有本尊釋迦三尊像(重要文化財)[8]
除了建築,堂内的壁畫也很重要,是平安時代繪畫稀少的遺跡。東側壁面描繪的聖德太子像,被中世的廚子包被,被視為秘佛(因1977年被指定為重要文化財,所以無法公開相片)[9]。來迎壁(在本尊背後的牆壁)內部則有九品來迎圖和佛涅槃圖,雖然因為一片漆黑、肉眼無法確認圖案,但透過紅外線攝影技術而確認全貌[10]

重要文化財

建造物
  • 常行堂 - 平安時代
  • 鐘樓 - 室町時代、應永14年(1407年)
  • 行者堂 - 室町時代、應永13年(1406年)
  • 護摩堂 - 室町時代、永祿6年(1563年)
繪畫
 
阿彌陀三尊像(高麗)
  • 絹本著色聖德太子像 - 鎌倉時代
  • 絹本著色慈惠大師像 - 鎌倉時代
  • 絹本著色阿彌陀三尊像 - 高麗時代
高麗佛畫日语高麗仏画,在2002年從寶物館遭小偷而遺失,在2004年南韓大邱廣域市内的寺院被發現,但因為是竊盜品不知道其流傳、奉納寺院的經過,因此要歸還日本仍很困難[11][12]。在朝鮮王室儀軌的引渡牽涉下,2011年4月日本外務省向韓國外交通商部,提出對1994年從長崎縣安國寺盜取的「高麗版大般若經日语高麗版大般若経 (安国寺)」和2002年從鶴林寺盜取的「阿彌陀三尊像」,調查確認如何流入韓國境内的事實與經過[13]
  • 絹本著色聖德太子繪傳 8幅 - 鎌倉時代
2002年因韓國人竊盜集團的竊取,雖然隔年即取回,但因而有毀損,經過5年時間和日幣5000萬円的修復[14]
  • 太子堂壁畫
    • 板繪著色聖德太子像 - 平安時代
    • 附 板繪著色佛涅槃圖 - 平安時代
    • 附 板絵著色九品来迎図 - 平安時代
雕刻
  • 銅造聖觀音立像 - 飛鳥時代後期(白鳳期)
1963年遭竊盜,雖然之後失而復得,但在天衣有一部分被切斷的損害[15]。之後,進行復原的修復。
  • 木造釋迦三尊像 - 鎌倉時代(中尊)・平安時代(脇侍)、太子堂本尊。
  • 木造十一面觀音立像 - 平安時代
  • 木造天蓋 - 平安時代
  • 木造藥師如來及兩脇侍像・木造二天王像(持國天、多聞天) - 平安時代。本堂本尊
工藝
  • 鼉太鼓緣- 室町時代
  • 木造鶴林寺匾額 - 室町時代
  • 銅鐘(梵鐘) - 高麗時代
  • 木造髹漆廚子 - 鎌倉時代

縣指定文化財

建築
  • 三重塔 - 室町時代。1976年因火災內部燒損,在1980年修理完成。
  • 仁王門 - 江戶時代,寛文12年(1672年)。
  • 石造寶篋印塔 - 南北朝時代。
雕刻
  • 木造阿彌陀如來坐像 - 平安時代。
  • 木造僧形坐像(傳惠便法師像) - 平安中期。
  • 二臂如意輪觀音半跏思惟像 - 平安後期。
  • 行道面 12面 – 從作風和尺度的不同,12面應非同時期所作,推測是鎌倉時代起至室町時代逐次製作。
  • 木造獅子頭 2面 - 鎌倉後期左右
工藝
  • 懸佛(聖觀音、如意輪觀音) 2面 - 南北朝時代、如意輪觀音台座下有康曆元年(1379年)之銘(附:懸佛(如意輪觀音)鏡板 1面 觀應3年(1352年)〉。
  • 机 - 天正4年(1576年)2月高砂城主・梶原景行捐贈。

其他建築、文化資產

  • 觀音堂 - 江戶時代、寶永2年(1705年)
  • 新藥師堂
  • 講堂
  • 西門
  • 東門
  • 寶物館 - 2012年為紀念太子堂創建900年而開設了新寶物館[16]
  • 石風呂
塔頭
  • 淨心院
  • 寶生院
  • 真光院

年中行事

  • 1月1日 - 初詣
  • 1月8日 - 修正會(節分、追儺)
  • 2月15日 - 涅槃會
  • 3月21日 - 春彼岸法會(太子會式)
  • 3月22日 - 太子法會(太子會式)
  • 3月23日 - 柴燈大護摩供(太子會式)
  • 5月8日 - 花祭(納骨、納髮、塔婆回向)
  • 7月下旬 - 早朝坐禪會
  • 8月7日 - 盆施餓鬼會
  • 9月 - 秋坐禪會
  • 十三夜 – 觀月會
  • 12月31日 - 除夜之鐘

月例行事

  • 每月8日 – 寫經和法話之會
  • 每月18日 – 觀音講

交通方式

  • JR加古川站起往搭乘加古川市區域巴士「別府路線」約8分,在「鶴林寺」下車,徒步可到達。
  • 從JR加古川站起搭乘加古川市區域巴士「東加古川路線」或神姫巴士「往安田東」約7分,在「北在家東口」下車,徒步5分到達。
    • 上述大約1小時有1~2列火車運行。

註腳

  1. ^ Marketing,Inc., Social Good. 西の法隆寺と称される鶴林寺、珍しい文化財が多数残る播磨の古刹の魅力に触れる旅 | ニホンタビ - 日本の奥深い魅力を伝える大人の旅行マガジン. ニホンタビ - 日本の奥深い魅力を伝える大人の旅行マガジン. [2018-08-26]. (原始内容存档于2017-10-09) (日语). 
  2. ^ 刀田山鶴林寺. 鶴林寺と聖徳太子: 「聖徳太子絵伝」の美. 法藏館. 2008: 3. 
  3. ^ 3.0 3.1 八木哲浩. 加古川市史. 1985: 48. 
  4. ^ 小野正敏. 歴史考古学大辞典. 吉川弘文館. 2007: 241. 
  5. ^ 范作申. 日本传统文化. 新知三联书店. 1992: 83. 
  6. ^ 久野健. 平安初期彫刻史の研究. 吉川弘文館. 1974: 184. 
  7. ^ 鶴林寺文書/市指定文化財/加古川市ホームページ. www.city.kakogawa.lg.jp. [2018-08-26]. (原始内容存档于2016-06-24) (日语). 
  8. ^ 8.0 8.1 『週刊朝日百科 日本の国宝』32号、朝日新聞社、1997
  9. ^ 在每日新聞社編『重要文化財』、同社編『国宝・重要文化財大全』便沒有刊載這個聖德太子像。『鶴林寺太子堂とその美』(鶴林寺叢書)則刊載了相片。
  10. ^ 濱田隆. 日本の美術273 来迎図. 至文堂. 1989. 
  11. ^ 韓日が高麗仏画で所有争い页面存档备份,存于互联网档案馆) 中央日報日本語版 2004年11月10日
  12. ^ 菅野朋子 【特別リポート】消えた「重要文化財を追え!」壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた! 週刊新潮 2005年10月13日号
  13. ^ 盗難文化財の再調査を韓国に要請 外務省. 朝日新聞. 2011-05-09 [2011-07-15]. (原始内容存档于2011-05-11). 
  14. ^ 聖徳太子、よみがえった! 盗難仏画の修復が完成. 產經新聞. 2008-03-19 [2015-08-16]. (原始内容存档于2008-03-26). 
  15. ^ 鶴林寺「聖観音」盗まる :: 東文研アーカイブデータベース. www.tobunken.go.jp. [2018-08-26]. (原始内容存档于2019-02-06) (日语). 
  16. ^ 兵庫県、鶴林寺の国宝太子堂創建900年を記念して、新宝物館がオープン. マイナビニュース. 2012-07-25 [2018-08-26] (日语). 

參考文獻

  • 井上靖、佐和隆研監修、野口武彦、幹覚盛『古寺巡礼西国4 鶴林寺』、淡交社、1981年
  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』32号(姫路城、鶴林寺、浄土寺、朝光寺)、朝日新聞社、1997年
  • 兵庫縣立歴史博物館編集 『特別展 鶴林寺太子堂 ~聖徳太子と御法の花のみほとけ~』、「鶴林寺太子堂」實行委員会、2012年4月14日
  • 『日本歴史地名大系 兵庫県の地名』、平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 兵庫県』、角川書店
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館

相關條目

外部連結