笠户丸
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笠户丸(かさとまる、かさどまる [2] ),是日本明治末期日俄战争至第二次世界大战期间,作为移民船和渔船使用的钢制货船。前身是俄罗斯志愿舰队的“喀山”号。
历史 | |
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船名 | 笠户丸 |
船东 | |
建造方 | 威厄姆·查理森 & Sons Ltd.,泰恩河畔纽卡斯尔 |
原始造价 | £97026 |
船厂编号 | 362 |
下水日期 | 1900年6月13日 (as SS Potosí) |
完工日期 | 1900年8月25日 |
结局 | 在堪察加半岛外海遭到击沉[1] |
技术数据 | |
吨位 | 6003 grt |
船长 | 123.4米(405英尺) |
型宽 | 15.4米(51英尺) |
高度 | 5.8米(19英尺) |
动力输出 | 600 n.h.p. |
动力来源 | 2 x 3 cyl. triple expansion engines, dual shaft, 2 screws |
船速 | 14.5 节 |
参考文献
注脚
- ^ 1.0 1.1 Kasado Maru. wrecksite. [9 December 2015].
- ^ 宇佐美昇三‘笠戸丸から见た日本’93、126-127ページ
文献
- 藤崎康夫‘航迹 ロシア船笠戸丸’(时事通信社、1983年) ISBN 4-7887-8311-8
- 宇佐美昇三‘笠戸丸から见た日本 したたかに生きた船の物语’(海文堂出版、2007年) ISBN 978-4-303-63440-7
- 山田廸生‘船にみる日本人移民史 笠戸丸からクルーズ客船へ’(中公新书、1998年) ISBN 4-12-101441-3 日本の海外移民船通史
- 神田外茂夫(编)‘大阪商船株式会社五十年史’大阪商船、1934年
- 研究代表者 笠原政治. 文化人類学の先駆者・森丑之助の研究. 科学研究费补助金基盘研究(C)(2)研究成果报告书. 横浜国立大学人间教育科学部. 2002 [2023-07-14]. CRID 1130000798141497472. (原始内容存档于2023-06-19).研究代表者 笠原政治. 文化人類学の先駆者・森丑之助の研究. 科学研究费补助金基盘研究(C)(2)研究成果报告书. 横浜国立大学人间教育科学部. 2002 [2023-07-14]. CRID 1130000798141497472. (原始内容存档于2023-06-19).研究代表者 笠原政治. 文化人類学の先駆者・森丑之助の研究. 科学研究费补助金基盘研究(C)(2)研究成果报告书. 横浜国立大学人间教育科学部. 2002 [2023-07-14]. CRID 1130000798141497472. (原始内容存档于2023-06-19).