里見氏
里見氏是日本的武家。本姓是源氏(河內源氏)。出自源(新田)義重之子・義俊的氏族,新田氏之庶宗家。戰國時代,一族中出現領有房總地方的戰國大名・安房里見氏。
日語寫法 | |
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日語原文 | 里見氏 |
假名 | さとみし |
平文式羅馬字 | Satomi-shi |
概要
里見氏是新田氏之庶宗家,也稱「大新田」氏。鎌倉時代,是身為御家人的將軍近侍,在鎌倉時代末的動亂和新田氏共同行動。南北朝期,一族分裂,分屬南朝方・北朝方。
根據安房里見氏家傳,里見氏的嫡流里見義實安房入國,是安房里見氏之初祖,但是系譜關係不確定。安房里見氏成長為戰國大名支配房總,在江戶時代初期成為統治安房一國的館山藩主,但是在1614年,里見忠義的時代改易。
其他還有鎌倉時代至室町時代,分支到諸國的里見氏,有出羽里見氏、美濃里見氏、越後里見氏等。
安房里見氏
安房里見氏(あわさとみし)是戰國時代掌握安房國,在房總半島擴大勢力,成為戰國大名的氏族。自稱「關東副帥」(關東管領之異稱)或「關東副將軍」。
安房里見氏・歷代當主
系圖
新田義重 ┃ 里見義俊 ┣━━━┓ 義成 田中義清 ┣━━━┳━━━━━┳━━━━┳━━━┓ 義基 大井田義繼 鳥山時成 豐岡義行 義直(美濃里見氏・出羽里見氏) ┣━━┳━━━┳━━━━┓ 義秀 氏義 牛澤重基 太田義宗 ┣━━━┳━━━━┓ 忠義 栗屋基秀 高林時秀 ┃ 義胤 ┃ 義連 ┣━━━┳━━━━┓ 基義 山本胤幸 仁田山氏連 ┣━━┓ 家兼 滿俊 ┣━━━┳━━━┓ 家基 堀內滿氏 家成 ┃ 義實 ┣━━┳━━┳━━━┳━━━┓ 成義 成賴 義秀 中里實次 元迎 ┣━━━━━━━┳━━┳━━━┓ 義通 實堯 義富 東條義倫 ┃ ┃ ┃ 義豐 義堯 橫小路堯重 ┣━━━┓ ┣━━┳━━┳━━┓ 家宗 小倉貞通 義弘 堯元 堯次 義政(水戶藩士) ┣━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━┓ 義賴 義重(里見梅王丸) 正木義俊 薦野賴俊 ┣━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━┳━━┓ 義康 正木時茂 正木義斷 正木忠勝 康俊 義高 ┣━━┓ 忠義 忠堯 ┣━━┳━━━━━━━┓ 利輝 貞倶(旗本) 廣部義次 ┃ 義安 ┃ 義旭(間部家仕官) ┃ 義孝 ┃ 義徳 ┃ 義豪 ┃ 義嗣 ┃ 義和
越後里見氏
越後里見氏(えちごさとみし)包括里見義俊之二男・田中義清在越後獲得所領、里見義成之二男・義繼獲得越後國波多岐莊大井田鄉(現・新潟縣十日町市)之所領、義成之三男・鳥山時成也獲得波多岐莊之所領。大井田氏・鳥山氏・田中氏等里見氏的支族形成越後新田黨,在南北朝的動亂期,跟隨宗家新田義貞共同活躍。
美濃里見氏
出羽里見氏
出羽里見氏(でわさとみし)是始於里見義成之四男・義直的家系。子孫以出羽國成生莊(現・山形縣天童市)為據點扶植勢力,但是移住出羽的經緯不明。
天童氏
南北朝時代,成生莊之里見義景無子,以源義國之家系,足利氏一門之斯波家兼三男・天童義宗為養子。里見義宗繼承家督稱天童氏。
水戶藩士里見氏
出羽里見氏之傍流,仕於水戶藩。
參考文獻
- 川名登 編『すべてわかる 戰國大名里見氏の歴史』(國書刊行會、2000年) ISBN 4-336-04231-4
- 川名登『房總 里見一族 増補改訂版』(新人物往來社、2008年) ISBN 978-4-404-03522-6
- 千野原靖方『房總里見水軍の研究』(崙書房出版、1981年) ISBN 4-8455-1035-9
- 千野原靖方『新編房總戰國史』(崙書房出版、2000年) ISBN 4-8455-1070-7
- 千野原靖方『里見家改易始末 房總戰國大名の落日』(崙書房出版ふるさと文庫、2001年) ISBN 4-8455-0175-9
- 千葉縣史料研究財団 編『千葉縣の歴史 通史編 中世』(千葉縣、2007年) 第3編「戰國時代の房總」
關連項目
外部連結
- さとみ物語 テキスト版 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)(館山市立博物館)