藤田西湖
藤田西湖(ふじた せいこ,1899年(明治32年)8月 - 1966年(昭和41年)1月4日)是繼承甲賀流忍術的忍術家以及武術家。為甲賀流忍術第14世傳人。本名「藤田勇治」(ふじた ゆうじ)。由於一生都討厭其本名,所以在其著作中都會將本名寫作「藤田勇」(ふじた いさむ)以及自稱為「藤田西湖」(ふじた せいこ)。「西湖」則是作為畫家(也是指作為其忍術修行其中一部分的畫工達到頂級的程度)的雅號。從小就進行修行並繼承家傳的忍術,也因此有「最後的忍者」的稱號。除了甲賀流忍術以外,他也繼承南蠻殺到流拳法,大圓流杖術,心月流手裏劍術,一傳流捕手術等武術。
太平洋戰爭時,他協助陸軍中野學校的籌備,同校開校後,其作為教官而以忍術講義進行南蠻殺到流拳法的指導[1][2](藤田雖然並未向任何人教授甲賀流忍術,但在陸軍中野學校中,有以甲賀流忍術為基礎作為其精神論講義)[3]。
戰後,他向摩文仁賢和(糸東流空手道創始人)等數名糸東流師傅教授南蠻殺到流拳法。這段期間,除了甲賀流忍術以外,均由武術家岩田萬蔵從藤田這裏繼承了其傳承的所有流派。
他致力於收集日本傳統武術的古代文獻,無法借閱的資料則會親自抄寫。藤田死後,這些龐大的資料都由遺族捐贈給小田原市,現在以「藤田西湖文庫」名義收藏在小田原市立圖書館。藤田西湖文庫到了現在也被日本武道史研究者加以活用。
著作
- 『迷信打破 所謂心霊現象の原理及方法 心霊術の正體曝露』(修霊鍛身會,1921年2月)
- 『中風症の治し方』(修霊鍛身會本部,1929年4月)
- 『動脈硬化の予防と治療』(研真會出版部,1931年11月)
- 『日本武術流名録』(1948年7月)
- 『法術行り方繪解』(修霊鍛身社,1928年)
- 『忍術秘録』(千代田書院,1936年)
- 『忍術からスパイ戦へ』(東水社,1943年)
- 『手裏劍術図解教本』(武術研究所,1953年)
- 『最後の忍者どろんろん』(日本週報社,1958年)
- 『神道夢想流杖術図解』非売品(日本武術研究書,1958年9月)
- 『拳頭法極意 當身殺活法明解』非売品(日本武術研究所,1958年9月)
- 『武芸十八般名稱術技略解』(日本武術研究所,1958年11月)
- 『図解 手裏劍術』(井上図書,1964年6月)
- 『図解 捕縛術』(井上図書,1965年6月)
- 『甲賀流忍者一代記』(東都書房,1968年)
- 『藤田西湖著作集』(名著刊行會,1986年9月)
- 『忍術秘録』復刻版(壯神社,1991年3月)
- 『法術行り方繪解』復刻版(壯神社,1991年3月)
- 『甲賀流忍者一代記』復刻版(壯神社,1991年12月)
- 『拳頭法極意 當身殺活法明解』復刻版(名著刊行會,1993年9月)
- 『図解 手裏劍術』復刻版(名著刊行會,1993年9月)
- 『神道夢想流杖術図解』復刻版(名著刊行會,1993年9月)
- 『図解捕縄術』復刻版(名著刊行會,1995年9月)
- 『最後の忍者どろんろん』復刻版,文庫本(新風舎,2004年11月)Template:Efn2
備註
出處
- ^ 『陸軍中野學校教授「忍術」,第1期學生資料公開』:讀賣新聞 2012年6月18日
- ^ 後方勤務要員養成所乙種長期第一期學生教育終了ノ件報告. 亞洲歷史資料中心 (日語).
- ^ 『秘録陸軍中野學校』 畠山清行・保阪正康編 新潮文庫 2003年 P176~P180
參考文獻
- 山田雄司『忍者の歴史』KADOKAWA,2016年