山本兼一

山本 兼一(日语:やまもと けんいち、1956年7月23日—2014年2月13日)是日本小说家,京都市出身。

山本兼一
出生(1956-07-23)1956年7月23日
 日本京都府京都市
逝世2014年2月13日(2014岁—02—13)(57岁)
 日本京都府京都市
职业小说家
教育程度学士
母校同志社大学文学系
创作时期2002年 - 2014年
体裁历史小说
代表作火天之城
利休之死
奖项松本清张奖(2004年)
直木奖(2009年)

生平

山本兼一出生于京都市,父亲为松尾芭蕉専门国文学者山本唯一(大谷大学名誉教授)。

山本兼一曾在出版公司工作,之后成为一名全职小说家。2002年,山本兼一发表处女作《戦国秘录 白鹰伝》。

2004年,他以《火天之城》夺得松本清张奖,而在2009年以《利休之死》(利休にたずねよ)顺利夺得直木奖。该两本小说被拍成为电影版。

2012年10月,他因肺腺癌入院。2013年12月中旬,他因病状悪化再入院,仍继续创作[1]

他在2014年2月13日死于肺腺癌,终年57岁[2][3][4][5]

山本兼一于杂志中央公论’2013年11月号开始连载《平安乐土》是其遗作。最后于第6回于去世前递送给‘中央公论[1]

奖项

  • 松本清张奖(2004年)
  • 直木奖(2009年)

作品

小说

  • ‘戦国秘录 白鹰伝’祥伝社(2002年)のち文库(2007年)
  • 火天之城文艺春秋(2004年)のち文库(2007年)
  • ‘雷神の筒’集英社(2006年)のち文库(2009年)
  • ‘いっしん虎彻’文艺春秋(2007年)のち文库(2009年)
  • ‘弾正の鹰’祥伝社(2007年)のち文库(2009年)
  • ‘千両花嫁 とびきり屋见立て帖’文艺春秋(2008年)のち文库(2010年)
  • ‘狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎’讲谈社(2008年)のち文库(2011年)
  • 利休之死PHP研究所(2008年)のち文库(2010年)
  • ‘ジパング岛発见记’集英社(2009年)のち文库(2012年)
  • ‘ええもんひとつ-とびきり屋见立て帖’文艺春秋(2010年)のち文库(2012年)
  • ‘命もいらず名もいらず’上下巻 NHK出版(2010年)のち文库(2013年)
  • ‘银の岛’朝日新闻出版(2011年)
  • ‘神変-役小角絵巻’中央公论新社(2011年)
  • ‘黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎’讲谈社(2011年)のち文库(2013年)
  • ‘赤絵そうめん-とびきり屋见立て帖’文艺春秋(2011年)
  • ‘おれは清麿’ 祥伝社(2012年)
  • ‘信长死すべし’角川书店(2012年)
  • ‘まりしてん訚千代姫’PHP研究所(2012年)
  • ‘花鸟の梦’ 文艺春秋(2013年)
  • ‘利休の茶杓’文艺春秋(2014)
  • ‘修罗走る関ヶ原’集英社(2014)
  • ‘心中しぐれ吉原’角川春树事务所(2014)
  • ‘梦をまことに’文艺春秋(2015)


参考资料

  1. ^ 1.0 1.1 死去前日まで最后の原稿执笔 山本兼一さん 互联网档案馆存档,存档日期2014年2月13日,. MSN产経ニュース 2014年2月13日
  2. ^ 死去前日まで最後の原稿執筆 山本兼一さん. MSN产経ニュース. [2014年2月13日]. (原始内容存档于2014年2月13日) (日语). 
  3. ^ 讣报:山本兼一さん57歳=作家页面存档备份,存于互联网档案馆)(2014年2月13日)、毎日新闻、2014年2月13日阅覧。
  4. ^ “利休にたずねよ”で直木赏…山本兼一さん死去页面存档备份,存于互联网档案馆) 読売新闻 2014年2月13日
  5. ^ 直木赏作家の山本兼一さん死去 “利休にたずねよ”など页面存档备份,存于互联网档案馆47NEWS 2014年2月13日