斋部广成

斋部广成(日语:斎部 広成いんべ の ひろなり,?—?,生卒年不详)是平安时代初期(8世纪到9世纪)的日本人。宿祢。是神祇少副斋部浜成之子。[1] 位及从四位下、神祇大副。有三子,依次为斋部伴主、斋部木上、斋部弟上。[2]

斋部广成

生平

斋部氏(即忌部氏)历代担任祭祀职务,可与中臣氏并肩的。不过到斋部广成的时候已经逐渐被中臣氏的裔流藤原氏取代。

斋部广成在807年(大同2年)时受平城天皇之诏编写《古语拾遗》,翌年(大同3年)受从五位下

参考文献

  1. ^ 铃木真年‘史略名称训义’平城天皇の项、中田宪信“织田右大臣信长公ノ系统及履历”‘好古类纂’第7集所収(いずれも宝贺寿男‘古代氏族系谱集成’古代氏族研究会,1986年 による)
  2. ^ 中田宪信“织田右大臣信长公ノ系统及履历”‘好古类纂’第7集 所収では、広成の子に明成、さらに明成の子に伴主・木上・弟上をあげるが、六国史における伴主・木上の任官记录から、明成は后世からの混入であり、伴主ら は広成の子と想定される(宝贺寿男‘古代氏族系谱集成’古代氏族研究会,1986年 による)